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寺宝Treasure

日蓮大聖人御真筆(日蓮宗宗宝指定)

鎌倉期に書かれた要文断片である。

寺宝のなかから出された二行のご真蹟は、紛れもない日蓮聖人のご真筆である。仏教書の抜き書きの一部で、出典は未詳であるが、おおよそ次のように読める。
(第一行)「消品目、所言二三者、二即真応、三」
(第二行)「即法爾、不伝化者化応、一応其骵□」
ここに現れる「真応」とは、最高位の修行者を意味する「阿羅漢」のことである。このご真蹟は文永六・七(1269・1270)年頃、鎌倉で揮毫された要文の抜書と見られる。

立正大学名誉教授 中尾堯先生
日蓮宗新聞 平成二十一年五月二十日号より

日親上人御本尊(日蓮宗准宗宝指定)

将軍足利義教の弾圧、焼鍋を頭からかぶせられたことから「鍋冠り日親上人」といわれる。京都・本法寺を中心に布教。獄中で知り合った本阿弥清信が帰依し、その曾孫の本阿弥光悦、そして長谷川等伯など信仰を通じ法華文化の花が咲く。

日審上人御本尊(日蓮宗准宗宝指定)

「法を演ること一万余座、席上の法譚又一万余座、親ら曼荼羅を書すること十万余幅、受法の者九万余人」と評される、日蓮宗近世第一の説法者。花押の形が壺に見える事から壺日審上人と呼ばれる。

日像上人御本尊

7歳の時に日朗上人に連れられて日蓮聖人に弟子入り。京都での布教を成就する為、壱百日の荒行を鎌倉で行う。長年の布教活動を経て、京都初の日蓮宗道場として妙顕寺を建立。肥後阿闍梨と号す。

一塔両尊(日蓮宗准宗宝指定)

宗祖像・鬼子母神像・妙見菩薩像が御仏壇に収蔵されている。

一塔両尊四士(日蓮宗准宗宝指定)

縁あってお焚き上げを頼まれた物の中から見つかった一塔両尊四士。一塔両尊四士とは、蓮華座中央にお題目を大書した宝塔を建て、その左に釈迦牟尼仏、右に多宝如来を奉安し、その下段には脇侍として地涌の諸菩薩の代表である上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の四大菩薩を奉安する、日蓮聖人が説示された大曼荼羅本尊に基づく日蓮門下独特の奉安形式の略称。

広重版画

三枚継ぎの版画「(甲斐国見延山)七面山之図」である。

古くから登詣されているにもかかわらず、こうした七面山之図は滅多に見られません。大変めずらしい画図だと思います。
参詣者は春気(木)川にかかる羽衣橋を渡り、神力坊の傍らの鳥居をくぐって登ってゆきます。左に梵音滝と太鼓滝という二つの大きな滝が見えます。やがて道は断崖絶壁の上にかかり、最後に樹々に囲まれた七面大明神の神殿のある広場に到着します。
うしろに広がるのは無熱池、右の方に空に聳え立っているのは、七面大明神がお姿を表した影嚮石です。

立正大学名誉教授 坂輪宣教先生
平成二十二年三月一日発行 教誌正法一二一号より