202406.20Wed.9:00-17:00

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花事業

サラノハナ

仙行寺では、生花店「サラノハナ」を展開し、“花を手向ける”心を大切にしています。
種子は落ちた場所に根を下ろし、そこがどんな環境であれ、与えられた環境の中で精一杯生きる。逃げず向き合い、受け入れて迷わず生きる。やがて芽を出し茎を伸ばし、花が咲き香り実を結ぶ。そして静かに枯れ散ってゆく、「植物の在り方」。
仏教では様々な植物の在り方が喩えられ、例えば「法華経」とは“蓮華に喩えられる経典”であり、つまり「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われる如く、泥の中(不浄)から茎を伸ばし美しい花を咲かせる蓮の花(清浄)を一つの理想としています。
私達は植物から多くを学び、「悼み」や「感謝」の“こころ”を“かたち”にします。

仙行寺オリジナルブランド〈仏音〉

仙行寺が提案する、心と地球に優しいオリジナル商品。

文化事業・劇場

仙行寺には「劇場」がある。そこでは日々多くの舞台が作られ、月一万人以上の観客が境内地の劇場へと足を運ぶ。“本堂の隣に劇場”もう池袋で五十年以上続く、仙行寺の日常の風景だ。
1968年、寺の経済基盤を固めるべく建設中だった本堂横のアパートの一階に、客席数百席程度の小劇場「池袋アートシアター」は誕生した。街の中心に文化芸術の拠点を作り、文化の香りを呼び込む事でその土地の空気自体を変えていこうと、“街中にある寺の在り方”そのものを見直した、寺の文化事業による“寺と地域社会の融和”の形だった。これにより寺の一角は場違いと思える若者達で常に賑わい、池袋の街に演劇の土壌を築く事となった。
その後「シアターグリーン」と改称し、長い間若手劇団の登竜門として存在してきた当劇場は、開設以来演劇界ではよく知られた存在として多くの著名な演劇人を排出し、2005年には建物も建て替え、現在では三つの劇場を内包する東京最古の老舗小劇場となった。

芸能事業・制作

ざ☆くりもん(正式名称:片肌☆倶利伽羅紋紋一座)

2012年に旗揚げされた、仙行寺座付のエンターテイメント時代劇一座。粋で鯔背に“生きる”事に一生懸命だった江戸時代の人々の人生を、仏教観を散りばめ描くハートフルコメディー人情劇。ダンス公演やミュージカル公演も上演し、幅広く展開している。
一座の主宰・脚本を務めるのは仙行寺住職の朝比奈文邃上人であり、上人は舞台の他に、NHK-BS時代劇の『大岡越前』の脚本も手掛ける。

住職より

時代を問わず、人は誰でも生きていれば、マンネリ化した単調な日常生活で「疲れ」や「ストレス」が溜まり、無意識のうちに頭も心身も疲弊し続ける。常に仕事や時間に追われ、社会的体裁や人間関係に身構え緊張し、頭は終始休む事なく様々な判断や選択をし続けている。これではやがて“気”が萎えて、心と体と頭がバラバラになってしまう。そこで人はその“ズレ”を治す為、「“気晴らし”に“晴れ着”を着て芝居でも観に行こうか」といった具合に、たまに身も心も日常から解き放ち、心に溜まった目に見えぬ老廃物や穢れを洗い流して来た訳だ。

日本では古来、「冠婚葬祭」や「通過儀礼」、また「年間行事」等の人生節目のイベントがあり、その折々に「流し雛」や「精霊流し」等、罪や穢れを色々な形に託して“水に流す”習慣があった。これは長い人生を生き生きと過ごす為の先人の知恵であり、人はそこで心身を癒し緩め赦す事で人生に良いリズムを生んでいたのだろう。そして多くの場合、その瑞々しい記憶の画には、家族と祈る寺社の風景がある。

寺社には人の心身を開き癒す“場”の力がある。山門に入り身も心も全てを委ね、やがて体が始める自然な呼吸は、“生きる”為の命そのもの。そこに手を合わせると自然に整う“安心”という良薬。それは心に、それは体に、それは頭に、それは長い人生に効能を発揮する、自らの深層から出される処方薬だ。言えば病院が“病と闘う場”だとすれば、寺社とは“生きるを養う場”なのだろう。

今般の感染症下に、改めて我々人間が“生きる”という事は、我々の祖先が“生き延びて来た”歴史なのだと識り、自然との因果を考えさせられる。しかしこの“感染症禍”とは、ウィルスと人間の関係性の問題と共に、この事実をどういう心で受け止め見るのかという、私達人間の内面の問題も同時にあるのだろう。

現代人は常に画面の先に情報を探し、今ここに在る“自分”とは繋がらずに、外にばかり目や意識を向けている。この現代社会に蔓延する精神的な病根は、“気を晴らし”“水に流す”習慣の減少が、「冠婚葬祭」や「年間行事」等の簡略化や形骸化により加速し、自分が何者であり、この命が他の命とどう繋がり合っているのか、所謂“因縁”を見失っている事にその一端があるのだろう。“因縁”を知るという事は、今ここで脈打ち在る自分という内なる世界を見る事であり、取りも直さず自分と繋がる事。

目に見える物質社会を変える前に、自分の内面と繋がり映る世界は、きっと自ずと変わっている。

医療技術が発達した現代に於いて、人々の寿命は医療に頼るものになったが、江戸時代、自らの寿命は自ら築き上げるものであった。大切な「寿命」を短くするのも長くするのもその人の養生次第。呼吸を整え自己治癒力を高め、穢れを流し感受性を育てる。それは「祈り」の悦の中に、畏怖すべき自然の中に、感じる心から生まれた芸術への「感動」の中に、心が共鳴する音楽の中にも、自分と繋がる“生きるを養う”薬がある。