日蓮宗松栄山 仙行寺

仙行寺の歴史

本堂ビル
松栄山 仙行寺 旧本堂

当山の歴史は江戸時代に遡り、元々は善行院と仙應院という二つのお寺であったが、明治四十年に両寺が合併して、松栄山仙行寺となった。当時は小石川区指ヶ谷町、現在の文京区にあったが、合併して五年後の明治四十五年、道路の改修の為に豊島区蟹ヶ窪に移転する。以来法灯は継承され、昭和十二年には本堂庫裡及び山門等が竣工されたが、昭和二十年、東京大空襲に遇い堂宇を尽く焼失してしまった。残ったのは浄行菩薩石像と石碑、それに過去帳だけだった。その後、今度は区画整理の為に再度豊島区の雑司ヶ谷に移転する事になるが、以来数十年は本堂もない状態が続いていた。

中興の機となったのは昭和三十三年、練馬妙安寺から弱冠十八歳の朝比奈日晟上人が移り住み、その後第二十七世住職となり、戦後の苦難を耐え忍び法城再興の思念やむ事無く、ついに昭和四十年、およそ二十年ぶりに戦前の本堂の姿をそのままに本堂を再建される。
以来上人は仙行寺復興の為、教線拡張を志しては神奈川県厚木市に新寺を建立し、久遠山仙行寺と号し、併設して「森の里霊園」を開園し、厚木仙行寺の基盤と成す。日蓮宗立教開宗七百五十年の記念事業としては、東京池袋に都市型の葬祭場「沙羅ホール」を建築する。更に寺の文化事業としては「仙行寺綜合文化会館・シアターグリーン」を開設し、寺と地域を文化で結ぶ等、次々と寺門を整備しその面目を一新された。

そして平成三十年、厚木仙行寺第二霊園「ふるさとの丘」の開園、及び池袋仙行寺新本堂建立並び屋内墓苑事業の開始を期に法灯は継承され、現在は法嗣・朝比奈文邃上人が第二十八世住職となっている。

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